ルネサス懇、参議院選挙を語り合う。

− 死の仕組みの克服を −

A) 本日の議論も終盤となりました。これまでの議論で、改憲によって私たちの権利が制限されて行きそ
 うなこと、その向かう方向が、生活保護法の改正案において象徴的に見られるように、ますます生きづら
 い社会であるらしいことを見てきました。
  私は、人間社会の中には死に至る仕組がいくつかあると見なしています。人間はいつかは死にますが、
 病気や事故とは別に、人間が社会の中に作り出した仕組によって、大勢の人が直接、間接に命を奪わ
 れていく構造があると言う事です。その最大のものは戦争です。それから地域紛争やテロ、組織的な犯
 罪もそうです。他には、司法によって死ぬと言うのもあるでしょう。代表的なのが死刑制度です。死刑制
 度で殺されるのは極悪人とは限りません。例えばポルポト政権下のカンボジアのように高学歴者がこと
 ごとく処刑されるなど、権力にとって都合の悪い者が大量に殺される場合もあります。しかし、今日私が
 取り上げたいのは、「経済で死ぬ」と言う事です。

D) 経済で死ぬとは、例えば経済的弱者であるが故の死でしょうか。現在では、生活保護が受けられな
 くて餓死する人も出ていますし、真冬には凍死するホームレスもかなり居ると言います。

C) 自死者数も、若干減ったとはいえ、すごく多いですね。年間で3万人前後に達する人数です。理由で
 一番多いのが健康問題で、約半数を占めています。次いで多いのが経済苦や生活苦を理由とするもの
 です。また、健康問題にしても、治療費が高くて生活が苦しいとか、症状が重くて働けないとか、家族も
 介護のために満足に仕事ができないとか、実は経済問題と密接な関係のあるケースが考えられます。

B) 若者の自死者の増加はどうでしょうか。私はとても深刻だと思っています。20代、30代の死因のトッ
 プが自死と言うのは異様ではないでしょうか。今の若者にとって、未来に明るい展望を見いだすのがと
 ても難しくなっているからだと思います。

D) 日本は世界的に見ても自死率の高い国ですが、若者だけでなく社会全体に絶望感が漂っている証
 拠ではないかと思います。

B) ちなみに隣の韓国は日本を上回る自死大国で、OECDの統計では世界一位となっています。でも
 日本の自死率が以前から高かったのに対し、韓国はそうでもありませんでした。1990年には人口10
 万人あたり7.6人だったのが、2010年には31.2人と、ここ20年くらいの間に一気に4倍以上も増え
 たんです。1997年に通貨危機があり、IMFが入って経済の自由化が推し進められました。それ以降の
 増加が目立っていますから、経済の自由化と自死率の増加は関係あるのではないでしょうか。いま、
 サムスンなどが優良企業として注目されていますが、サムスンのような世界企業が栄える足下で、韓
 国人一般の生活は、相当に厳しいものになっているのではないかと心配します。日本もまたしかりで、
 グローバル化する大企業が栄えることと、日本人が幸せになることとは、必ずしも結びつかないどころ
 か、どんどん関係が無くなっているのではないでしょうか。

D) 関係が無いどころか、ルネサスの場合、グローバル化で後工程の生産拠点を海外に移して、国内
 工場を閉鎖して、雇用が失われて、不幸を増やしていますよ。

C) このところ失業率が改善していると言われています。確かに5月の完全失業率は4.1%で、これは
 昨年12月の4.3%に比べて0.2ポイントの改善です。でもなぜか実感が沸きませんよね。ルネサス
 だけでなく、大手電機各社が大リストラを実施中ですからね。実は、45歳から54歳の働き盛りに限っ
 て言えば、昨年12月の3.2%から3.5%に悪化しているのです。こちらの数字の方が、しっくり来る
 のではないでしょうか。

B) それから非正規雇用の割合が増えていると言いますね。2012年に2042万人に達して、雇用者
 全体に占める割合が38.2%だそうです。そしてブラック企業問題は、残りの6割の正規雇用の中に
 潜んでいます。低賃金、不安定、劣悪な労働条件などが、あたりまえの社会になってきていると感じ
 ます。

A) まともな労働条件で就業できるかどうかが、まともに生きられるかどうかと密接に関係しています。
 しかし正規、非正規を問わず、まともな労働条件が切り崩されていますね。こうした変化を、私たち労
 働者の側が、仕方のないこととして受け入れてしまっている面がないでしょうか。

C) 本来であれば、まずは人々の幸せを実現するという目的が社会にはあって、そのために必要なも
 のを造り出すコミュニティとして企業が存在しているはずだと私は考えています。その企業が必要な資
 金を集めるために金融の仕組みがあり、そして金融の仕組みを上手く回していくために、出資者が利
 益を得る仕組みを織り込んでいるのです。
  ところが、現代の資本主義は実体経済の4倍とも言われる投機マネーが世界中を駆け巡って、貪欲
 に利益を追求することで、実体経済を翻弄し続けています。こうなると、利益こそが最大の価値になっ
 てしまい、利益のために金融があり、金融のために金儲け機関としての企業があり、その企業の金儲
 け追求のために従業員がいると言う逆転した構図になってしまいます。
  その構図の中で生きている間に、私たちの中にも、いつしか利益に貢献できる労働者になることが
 正しいことであると言う価値観が生まれ、しだいに強くなっているのではないでしょうか。

A) 実は先日、憲法の立憲主義について調べていて、「岩波講座 憲法1 立憲主義の哲学的問題地
 平」という本のなかに興味深い記述を見つけました。京都大学教授である毛利透さんの書かれた「市
 民的自由は憲法学の基礎概念か」という論文の中で、20世紀のドイツの哲学者ハンナ・アレントを引
 用した箇所です。それによると、ナチスドイツの台頭してきた時代のように、ばらばらの非政治的個人
 が多数を占める社会で、お互いが他者を生存競争の相手としてのみ捉えるような状況になると、人々
 は自らの価値へ確信が持てなくなると言います。自らが他者と取り替えのきく存在だと意識されるから
 です。そうなると、数千年の単位で物事を語る世界観、つまり全体主義的イデオロギーが、世界に意
 味を与えてくれるように思えてしまうために、これを受け入れやすくなると言うのです。そして全体主義
 イデオロギーを受け入れたごく普通の人々が、その全体主義体制に反対する側の弾圧や殺戮に加わ
 る事が出来てしまうのですが、もっと恐ろしいのは、そのような人々は自ら殺される番になっても、それ
 を受け入れてしまうと言うのです。これを現在の私たちの状況にあてはめて考えるとどうなりますでしょ
 うか。
  現代の日本で最も強いイデオロギーのひとつは、Cさんの説に従うならば、利益を善と考える「利益全
 体主義」と呼ぶべきものではないかと考えられます。すると、次のような仮説ができあがるのではない
 でしょうか。
 『私たちが何のために働くのか、何のために会社が存在するのかと言った事を忘れて、単に生きていく
 ための手段として会社で働くようになり、更にその会社の中の人間関係が希薄になって、互いの私生
 活や趣味などに関心が無くなり、個人がばらばらの状態になってしまうと、自らの存在価値への確信が
 持てなくなってしまいます。すると、個々の社員を超越した価値観、たとえば「会社の繁栄が最も重要
 であり、そのために利益を上げることこそが最高の価値である」と言ったイデオロギーを受け入れやす
 くなります。そして、利益を生み出せる従業員が善であり、生み出せない従業員は悪であると考えるよ
 うになります。
  会社がリストラによる人減らしをする局面においては、会社内における自らの存在価値を、同僚より
 も多くの利益を会社にもたらす事ができるのかどうかを基準に考えるようになってしまいます。また、自
 分が関わる周囲の社員の存在も、自らが仕事を進める上で有益な人なのか、それとも無益な人なの
 かと言う点を強く意識するようになります。さらには、利益の生み出せない社員は解雇されて当然では
 ないかとの考えに至ります。解雇された社員が、その後どうなるかに関心はなく、想像力も働きません。
  ところが、そう考える社員自身が、「会社は売上げ規模に見合った人員まで削減しなくてはならない。
 あなたは今まで頑張ってきてくれたが、現在のメンバーの中にあっては、相対的には成果を出せてい
 ない。だから残った少ない人員で成果を出していくためには、申し訳ないが早期退職を取って頂きたい」
 と言われたときには、確かに会社の論理は正しいと考えてしまい、何らの反論する理屈を思いつきませ
 ん。そして理屈が正しい以上は、その理屈に沿ったうえで、自らが残る理由を見つけなければならなく
 なります。つまり、自分は成果の出せていない人間だとの誤解を解くか、何かの条件さえ整えば成果
 の出せる人間だと理解してもらうか、もっと他に成果の出せていない部門や個人があることを示すかで
 す。
  しかし仮に、自分が相対的に成果を上げられないのが事実であると自覚していると、残った感情を何
 とかふり搾って「残りたい」と言ったとしても、部長や他の誰かが「あなたよりも優秀な人も辞めると言っ
 ているのに、わがままではないか。それともこれから劇的に変わって、必死で頑張って成果を出してい
 く覚悟があるのか」と言えば、もはや何も言い返せなくなってしまいます。』
  私の仮説は以上です。Cさんのお話で、リストラの掲示板に「できの悪い社員は辞めるべき」との書き
 込みが多いとの事でした。このような考えを持つ方こそは、ご自身が早期退職の対象になったときに、
 黙って応じてしまう可能性が高いと思います。苛烈な早期退職をやりながら、抵抗する社員が少ない会
 社というのは、定性的に言って利益全体主義的なイデオロギーが浸透している会社であり、ひいては
 個人個人がばらばらの会社である可能性が高いとも考えられます。

D) 早期退職の面接をしている部長自身が、そうしたイデオロギーに捉えられていると厄介ですね。部
 下を成績順で査定して、成績下位者から早期退職の対象にしているのでしょうけど、査定そのものは
 公平で部長個人の好き嫌いを反映させなくなる代わりに、本人の希望にも耳を傾けなくなるかも知れ
 ません。自分は正しい事をしていると信じて、粛々と成績下位者を退職に向かわせるのではないでしょ
 うか。

B) 部長は部長で、上から厳しく言われていて、職場の中から何人退職者を選ぶようにと言われてい
 ると思うのですよね。でも目標人数に達しなかったときに、上に抵抗する姿勢くらいは見せて欲しいと
 思います。部下を辞めさせられなかったから、仕方なく自分が辞めると言うのではなくて。
  そもそもこの早期退職に至った理屈を、どのくらいの社員が納得しているのでしょうか。2003年の
 人数対売上げ比から見て、現在の売上高が落ちていて当面回復の見込みが無いから、2003年の
 時点と同じ割合になるまで人数の方を削減するのだと言っていますね。これでは単なる算数の比例
 計算ではないですか。せっかく売上げが落ちている原因の分析がいろいろと出てきているのに、そ
 れを踏まえた結論なのですかと言いたいです。新規顧客が開拓できていないことや、新製品の開発
 が滞っていることが、人員の削減で改善できるのでしょうか。

D) とにかく即死を避けるのだと、逃げの手ばかり打ってきましたよね。将棋で言えば、常に王手、王
 手と連続で打たれて来た感じです。そうなると王を逃がすか、合駒を打って防ぐしかなくなります。そ
 うやって、開発を諦めたり、拠点や工場を閉鎖したりしながら、どんどん会社そのものは小さくなって、
 反転する戦力も無くなっていきました。産業革新機構は我々に成長資金を提供し、飛車や角を新た
 に外から買えば良いと言うのかも知れませんが、その前に詰んでしまったらどうするのでしょうか。

B) 産業革新機構は、リストラが終わるまで出資するのを待っている感じでしたからね。

C) 会社の生殺与奪を握られたうえで、比例計算のリストラを押しつけられる理不尽さは、経営トップ
 も感じているのではないでしょうか。そして理不尽さに対する怨念感情は、往々にして弱い者に向け
 られるものだと思います。今回のリストラは、旧NECエレクトロニクス側に厳しいとも言われています。
 これが事実だとすると、経営が旧日立出身者と旧三菱出身者のツートップ体制になりNEC色が一掃
 されたことで、旧NEC側の発言力が弱まっている事との関係も疑われます。理不尽なリストラ要求を、
 NEC側に多くを負担させる別の理不尽で達成しようとしているのではないかとの疑いです。

D) そうやって怨念感情が下位に向かうとすると、理不尽に厳しいリストラをされたNECエレクトロニク
 ス側の現場はどうなって行くでしょうか。
  例えば、仕事のシステムやマニュアルなどでも、旧ルネサステクノロジ色に染まりつつあります。怨
 念感情が蓄積していくと、そのはけ口が、旧ルネサステクノロジ流の仕事を、原理主義的に追求する
 形で解消されていく事もあると思います。徹底的にマニュアル主義を追求して、マニュアルから逸脱す
 る仕事のやり方を許さないとか、利益の上がらない製品の存続を絶対に許さないとか、ちょっとでも不
 良の流出の可能性のあるものは出荷させないとか、不明確で不安要素のあるプロジェクトは明確にな
 るまでデータを集めさせるとか。人数が減ったにも関わらず、極端なまでの原理主義、完全主義的な
 傾向を強めて、ムダに消耗していく事もあり得るように思えます。

B) もはや暴走状態ですね。

C) ところで、Aさんのさっき言われた仮説は、会社全体主義、いわゆる会社主義だと思いますが、もう
 1段上がった視点から、そもそもルネサスのように利益の生み出せない会社に存在価値はないのだ
 とする全体主義もあると思います。利益の出せない会社がいつまでも存続することで、日本経済の足
 を引っ張るのは許せない、そこに国民の税金が使われるのは許せないという考え方です。

A) 「利益の出せない者=役に立たない者であり排除されるべき者」という構造は会社の中だけでなく、
 社会全体にあるのではないかと言う事ですね。
  先ほど引用したハンナ・アレントは、著書「全体主義の起源」の中で、こんな事も述べています。封建
 時代のヨーロッパでは、ユダヤ人の金融業が彼らの使える君主を経済面から支えていたため、彼らに
 は通常の市民以上の特権が与えられていたのですが、市民革命後の社会が資本主義化していき、
 もっと莫大なお金を必要とする時代になったときに、ユダヤ人の金融業は新しい経済体制への関与に
 消極的だったと言います。このような姿勢がやがてユダヤ人金融業の衰退を招いたのですが、ユダヤ
 人への迫害は、金融で力を持ち特権を持っていた時代よりも、むしろ力を失った時代に苛烈なものに
 なったと言います。力を持たなくなったことで、社会にとって役に立たないものと認識されたからです。

C) では、なぜ役に立たない者を排除してやろうとの意識が生まれるのでしょうか。やはり根底には生
 きづらさがあるように私には思えます。

B) 社会が椅子取りゲームみたいになっていますよね。全員が座れるだけの椅子が無いから、他人を
 蹴落とさないと座れない社会に。だから「役に立たない者」が蹴落とすべき対象になってしまうのでしょ
 うか。

C) 椅子取りゲームのように、幸せからあふれる人が必ず出る社会をどう考えるかだと思います。私た
 ちは社会に適応しようとする内に、いつしか適応しようとする対象が正しく、適応しようとする行動その
 ものが道徳的に正しいことのように思えてしまうものなのだと思います。
  子供の頃から受験競争に晒されていれば、受験競争があること自体を正しいと考え、勝ち抜くため
 に一生懸命勉強することが道徳的に正しいことに思えてきます。そして企業に勤めれば、競争で他者
 に打ち勝つ事を正しいと考え、利益を上げることが正しいと考え、そしてそのためにプライベートを犠牲
 にしてでも働くことがモラルとして正しいと認識されるようにもなるでしょう。そして、国が戦争を起こせ
 ば、戦争目的が正しく、その戦争の中で確実に任務を遂行し戦果を上げることが正しいと思えてくるの
 だと思います。特にこうした状況にうまく適応できた人ほど、そう考える傾向は強まるのではないでしょ
 うか。

A) 生活保護者に対するバッシングと言うのも、私たちが苦しい思いをしながら働いている間に、生まれ
 てくる感情かも知れませんね。

C) 困難を克服するために頑張ったことに意味を持たせたいと思うが故に、それを正しいと思い、そうし
 て困難があることまでも肯定してしまい、困難を克服しようとしていないかの様に見える者の方が悪く
 思えてしまうのだと思います。
  でもそこで待って欲しいのです。世の中に競争があるのは、私たちがそれを望んだからでしょうか。
 それとも私たちが望む以前に、生まれた時からあったものでしょうか。私たちは競争に適応するよう
 に幼い頃から教育されてきました。しかし、競争があること、競争のある世界から逃れられないこと、
 逃げられないが故に適応せざるを得ないことと、競争自体が正しいかどうかは別ではないでしょうか。
  世の中から戦争も犯罪も消えることはないでしょうけれど、無くなって欲しいと願うことは間違ってい
 ない筈です。現実を認識することと、その現実を変えたいと願う事は別です。ところが現実を受け入れ
 る過程で、それが現実なのだから正しく、現実を変えようとすることが間違っているとの考え方に、い
 つの間にか変わってしまうのはなぜでしょうか。生きるために努力して適応した対象が否定されてし
 まえば、適応した事も意味を失い、再び生きる術をどこかに見いださなくてはならなくなると感じてい
 るからでしょうか。
  そのように考えると、私たちが椅子取りゲームのような誰かが必ず不幸になる構造を受け入れてし
 まい、その環境に適応しようと努力するところから、適応出来ない誰かに対する排除の意識がすでに
 芽生えているのだとも考えられます。
  私は何も世の中から競争を無くせと言っているのではありません。無くせと言っても無くならないでしょ
 う。しかし競争原理がそのまま生存競争になってしまえば、自分が生きるために自分以外の人、集団
 に対する差別や排除を欲してしまい、多くの人の死さえも、当然の帰結と受け入れてしまうことになり
 かねません。そうならない為には、ひとつには競争はどこまで許されるのか、競争の成果はどうやって
 社会に還元させるのか、勝った者が手にする事が出来る範囲はどこまでかと言った制限が必要で、
 2つ目には競争そのものは公平公正な共通のルールに則り、ルールが遵守されているか常にチェッ
 クされている必要があり、そして3つ目は、負けたものが全てを失うことの無いように、命、人権、尊厳、
 自由、生きがいが奪われないように保障する仕組みが必要では無いかと思います。弱肉強食の生存
 競争を、如何にてルールある人間社会の競争に昇華させていくのかと言う事です。

B) 今は行き過ぎた競争によって、命さえも守られない社会ですね。民主党の鳩山総理が施政方針
 演説で「命を守りたい」と言ったのとは対局にありますね。やっぱり命を守らないと。

A) しかし単に「命を守りたい」では、政治上の有効な対立軸にはならないと私は考えます。なぜなら、
 どの政党も命を守りたいとは言うからです。最近急速に勢力を伸ばした超タカ派の政党から立候補し
 ている政治家さえ、軍隊で近隣諸国の脅威から国民の命を守るのだとの主張をしています。

B) つまり、どこに脅威があり、どのような仕方で命を守ると言っているのかが重要だと言う事ですね。

A) そうです。それで今日は「経済で死ぬ」と言う話をさせていただきました。これがおそらく今の日本
 で暮らす私たちにとってもっとも身近な脅威であると考えるからです。そしてこの脅威は、マクロなレ
 ベルで経済が成長するだけでは取り除けないとも考えます。
  なぜなら、人々の生殺与奪を握っている者は、そのことでものすごく儲ける事が出来るからです。私
 たちは死なないために、軍隊に行ったり、原発労働に従事したり、命や健康や生きがいや人権を切り
 売りしてまで生きていこうとします。その必死さを利用すれば、危険な仕事や有害な仕事に就かせた
 り、低賃金で我慢させたり、長時間労働をさせることも出来ます。逆に言えば、自らの生死を誰かに握
 られている状態は、非常に危険だと言う事です。
  例えば、自民党は憲法9条を変えて、国防軍を組織し、集団的自衛権の名の下に戦争ができる国
 にしようとしています。そうなると、国防軍をどうやって組織するかが問題になります。徴兵制を敷くの
 か、それとも志願者を募集するのか。ジャーナリストの斉藤貴男氏などは、後者の可能性が高いと言
 います。アメリカが既にそうであるように、社会が生きづらければ、生きられる条件を求めて軍隊に入
 る者が出てきます。実際に安部内閣は、本日すでに議論しましたように、生活保護の基準を下げつつ
 あり、更に受給の条件を厳しくしようとしましたし、しかも家族で何とかしろという憲法に変えようとして
 います。こうして現在進行形で生きづらい世の中に向かっています。

C) まさに、私たちの生存競争に寄生する形で、金儲けの構造が無数にできあがっていますね。その
 寄生する利益追求の構造が巨大化し、私たちの生存競争を支配しています。

D) 利益追求の構造に命まで支配されないようにするためにも、格差社会の是正、生活保護、失業保
 険といったセーフティネットの整備とか、医療や介護や教育などを全国民が不足無く受けられる仕組
 み造りとか、そういったものこそが必要ですね。

B) それから、例えば保育園のような競争原理が合わないようなものを民営化して、株式会社化しよ
 うという動きもありますが、私はむしろ逆だと考えます。保育園の経費の大半は人件費なのです。効
 率化して利益を上げようとすれば、結局は人件費を下げるという事になります。保育士の賃金を下げ
 るか、それとも保育士ひとりあたりの仕事を増やすかしかありません。賃金を減らしたり、育児環境を
 悪化させて捻出した利益が、保育料を支払っている家庭ではなく株主に還元されていくのは、おかし
 いと思っています。競争させれば何でも良くなると言うのは幻想でしょうね。子供達の命や成長に関
 わる領域など、競争や利益追求の仕組みから守られなければいけないと思います。

D) 戦争で死ぬとか、経済で死ぬとか、死の仕組みが身近になるほど、私たちは生きづらくなってき
 ますね。死の仕組みそのものを取り除くことで命を守るのか、それとも死の仕組みそのものは温存
 または強化したうえで、経済成長や軍隊で命を守るのか、どちらが私たちにとって望ましいのかを考
 えながら、参議院選挙の投票先を選びたいと思います。