ルネサス錦工場の存続に関する政策提言(総合版)

熊本県労働組合総連合議長 楳 本 光 男

はじめに

 この提言は、技術者として永年半導体微細加工に関わり、現在、微細加工研究所の所長としてコンサルタントや執筆活動をされている湯之上 隆氏の著作及び助言をきっかけに、労働者の雇用と地域経済に責任をもつ労働組合のローカルセンターの責任者として、半導体・電機産業の問題を俯瞰した上で、問題提起するものである。

 はじめに、この問題を考える前提条件として、現代資本主義が、「国際的格差」の存在を前提に、利潤追求のため、国境を越えてグローバルに展開をすることで成り立つ経済システムであるということを共通認識としたい。今日の「電機」や「自動車」は、賃金格差を根拠に安いコストを求めて、アジアや南米に生産拠点を置いている。金融経済は、さらにこの格差を利用して勝ち負けを競うこれらの企業の価値(株)や為替など、労働の実態のないマネーゲームをもとに成り立っている経済システムである。新自由主義は、この資本主義の本質ともいえる、冷酷な特徴を丸裸にして強引に進めるものであった。その結果として、わが国の雇用は破壊され、地域も展望を失っている。地方分権としての「道州制」の問題が提起されているが、新自由主義的発想の下での「道州制」は地方を殺すものでしかない。「勝ち組」であったはずの「電機・半導体」が、アジアで完全な「敗北者」となった今、それはますます考え直さなければならない問題となった。地方分権は「福祉国家」的発想の下で考えるべきである。
 私たちは、労働組合の立場として、生産を社会的に管理できる社会主義を展望している。しかし、今日の状況をみる限り、その実現のためには、具体的に段階を追わなければならないと考える。であるならば、当面は資本主義にルールをつくることが必要である。そのルールとは、憲法のいう「健康で文化的な生活」が保持される中での資本主義の展開(営利の追求)ということであろう。この「健康で文化的な生活」の解釈については、インド人の経済学者であるアマルティア・センの提唱する基準が国際的支持を得ている。それは、第1に、「適切な栄養をえているか」「雨露をしのぐことができるか」「避けられる病気にかかっていないか」「健康状態にあるか」といった基本的な健康・生命を維持するための「生活の質」を確保すること。第2に、「読み書きができるか」「移動することができるか」「人前に出て恥をかかないでいられるか」「自尊心を保つことができるか」「社会生活に参加しているか」といった社会・文化的な「生活の質」(アマルティア・センの言う生活の「機能」、アマルティア・セン著、池本幸生・野上裕生・佐藤仁訳『不平等の再検討』岩波書店、1999年、参照)双方を確保することである。ここに示された思想は、ILOが提起している「ディーセントワーク」という考え方にも共通のものがある。私たち労働組合には、国際的連帯をもとに、公正・公平でかつ人々がコストとして生活に窮することのない、このルールある資本主義をグローバルに確保していくことが求められている。つまり、当面アジアの労働者の適正な処遇と、ディーセントワークを実現していくことが、日本の労働組合には求められているという認識を持たなければならないと考える。今回のルネサスの合理化問題は、私たちにそういう問題提起をしている。
 ルネサスの合理化問題についての分析は、「前衛」の2012年12月号に、「ルネサスの合理化策からみえてきたもの」と題した論文を寄せた。掲載から半年を待たずに、若干古い分析にはなるが、ぜひお読みいただきたい。昨年7月に発表された、このルネサスの合理化策を受けて、半導体「後工程」の工場の存在する、全国各地の経済と雇用が危機に瀕している。熊本では、錦工場(未定)、大津工場(潟Wェイデバイスに売却)、益城工場(閉鎖)の3工場が、閉鎖・売却の対象となっている。その論文の中で私は、われわれ労働組合に求められているのは、雇用と地域経済を守るための具体的産業政策を提起することだと訴えた。
 今回のこの提言では、特に地域経済に深刻な影響を与えることが危惧されるルネサス錦工場の存続問題に絞って考えてみたい。

1.具体的提起

 まず、結論から入る。
@ 大前提として、ルネサス錦工場が、ルネサス・セミコンから離れ、半導体「後工程」工場として、資本も技術も自立すること。
A 「錦工場」は3次元半導体製造を視野に入れた「後工程」工場として、直ちに体制の具体化に入る。
B 熊本県及び関係自治体は、3次元半導体製造の意義をおさえ、国家研究プロジェクトの早急な具体化を経済産業省に求め、「錦工場」の全面支援にあたる。このことは、国内の「後工程」工場全体に対する支援と問題提起となることを強調する。

 現在の半導体「後工程」の状況について触れると、国際的にOSATと呼ばれる独立した「後工程」工場として、売上高順に、ASE(台湾)・Amkor(米国)・SPIL(台湾)・STATS ChipPAC(シンガポール)の4社が存在し、大きくリードしている。日本の半導体業界は、構造的に「後工程」はそれぞれの半導体会社にカスタマイズされているため、自立した「後工程」工場が存在しなかった。そうした中、2009年、大分に本社を置く潟Wェイデバイスが、東芝とAmkorの出資を受け、本格的な「後工程」工場として稼働している。(他にもテラプロープ、吉川セミコン、アルス電子などがあるが売上高は少ない)。ジェイデバイスはいま触れたように、上記OSATの一つ、Amkorから出資を受けて操業し、さらにこの5月にAmkorに買収をされたことも注目に値する。今回のルネサスの合理化策により、ルネサス大津工場(三菱系工場)を、ジェイデバイスが買収することも決まっている。ジェイデバイスの売上高は、ASEの8分に1程度と極小であるも押さえておく必要がある。
 今回の提案は、このような状況の中に、「3次元半導体製造」という新たな分野の開拓のために、独立した「後工程」工場として、「錦工場」が名乗りを上げる覚悟を決めることが残された存続の道であることを強調している。
 さらに、3次元半導体は、「日本半導体」生き残りの「望みの綱」ともいえる。この将来性のある分野に、熊本からも果敢に割って入ることを提起する。

2.根拠

 現在、世界の人口は70億人。その内、携帯電話人口は53憶6000万人(「平成24年度版 情報通信白書」)である。その中でスマホの占める割合は、2011年には26.6%であったものが、2015年には51.8%になると予想されている。携帯は全人口に普及するであろうという予測もあり、そう考えるとスマホ市場は、今後莫大な拡がりの可能性を確実に持っている市場といえる。このスマホの高性能化に対応する半導体の更なる微細化が要求されていることに注目する必要がある。この間、「ムーアの法則」によって留まることなく進められてきた半導体の微細化が、今後2次元の世界ではもう限界にきているという。そこで、半導体の3次元化の話にいま注目が集まっている。
 これを実現するには、新たな「中間工程」が必要となり、その分野は、まだせめぎ合いの段階である。技術的な話は、ぜひ、湯之上氏の書籍「電機・半導体大崩壊の教訓」(日本文芸社)や氏の書かれたメールマガジンなどを購読していただきたい。スマホで活かされる、この3次元半導体は当然のことながら、その後、PCにも採用され、その他のデジタル家電にも採用されていくことになるであろう。この技術を制するものが、今後の世界の半導体業界を制することになりそうだ。
 現段階では、台湾のファンドリー(設計をもたない製造専門工場)であるTSMC(台湾セミコンダクターズ・マニュファクチャリング・カンパニー)とシンガポールのアセンブリメーカーであるSTATS ChipPACが、3次元半導体製造に、積極果敢に取り組んでいるらしいが、ここで活かされるのは「前工程」の技術ではなく、「後工程」の技術なのだそうだ。湯之上氏は、3次元半導体製造のために必要な「中間工程」のために、日本は装置も材料も技術もすでに持っているという優位性を強調する。であるならば、「後工程」の工場であった錦工場を、3次元半導体製造のファンドリーに生まれ変わらせるということは、当事者が決心すれば、非常に現実味を帯びた話となる。
 ただし、この具体化を業界に任せるわけにはいかない。今のわが国の「電機・半導体」にその見極めと、決断の能力があるとかといえば、それは絶望的といえる。自動車業界と経産省が結びついた産業革新機構によるルネサスの生き残り策をみると、それは明らかである。ルネサスの問題については後述するが、半導体産業としての自立した発想ではなく、自動車産業に全面的に救済を求めているのが、今回の救済策と、この業界の実態である。市場をマーケティングし、将来的に売れるものを見極める体質と力が、わが国のこの業界になかったことが、今回の事態を招いている。この事実を冷静に見極める必要がある。業界全体を見渡した時、あるいは国際的な業界の動向を見渡した時、今の日本の半導体業界に、展望のある政策を求めることは逆に危険であるともいえる。
 その意味で、国・経産省を活かし、実働している国家プロジェクトに展望を求め、そこから具体的な産業政策を構築していくことが有効であると考える。熊本県を先頭に地方自治体の力を結集し、専門家(学者・技術者)の知恵を全面的に活かして、国・経産省を動かし産業界に問題提起をしていくことが最善の策と考える。
 これが、提起の具体的根拠である。

3.ルネサスについて

 経済産業省が全面的に関わっている「前工程」で生き残りをかけるという、ルネサスの問題も重要な課題である。
 現在ルネサスは、官民ファンドである産業革新機構の応援を受けて、自動車のナビなど、車載用のマイコンの製造に特化して生き残りをかけようとしている。そのために、思い切ったリストラを敢行し、スリム化を実行している。この間、ルネサス・セミコン九州・山口を去った従業員数は、実に1500人にものぼる。当初の希望退職目標900人を大幅に上回る数である。足元の社員が、これほど多く、自ら会社を辞める道を選ぶということは、ある意味、会社の実態を一番知っている者たちの判断として、ルネサスは謙虚に受け止める必要があるのではないか。今回、ルネサス・セミコン九州・山口は、グループ本社で生産計画の統括をしていた有泉洋文氏を社長に据えた。4月16日の地元熊日新聞や、くまもと経済5月号に有泉社長のインタビュー記事が掲載されているが、その中で氏は「マイコン製品は育てていくのが会社の方針」としながら、「そこに家電やスマートフォンなど向けを積み上げていく」と答えている。3次元半導体のことをどこまで視野に入れた発言かは不明だが、「前工程」だけで生き残るとした社の方針とは基本的に矛盾するように考えられる。
 そこで、ルネサスに対する問題提起である。
 ルネサスをはじめとする半導体産業が、「売れるものをつくる」ではなく、「つくったものを売る」業界体質であったことが、国際的競争に負け、今回のような産業界の凋落をまねいたといえる。これからどんなにあがいたところで、半導体産業として、サムスン、TSMCに追いつけるはずもない。であるならば、現在はまだ堅調といえる自動車業界の、ある意味「部品工場」になり切ることの方が、賢明であるのではないかと考える。そして、自動車産業が堅調な内に、半導体も含めた自動車産業としての産業政策を確立し、確かなマーケティングとともに、産業を凋落させない方針を確立していくことが、ルネサスにとって一番賢明であると考える。

おわりに

 これまで、われわれ労働組合は、大企業に対して「企業の社会的責任を果たせ」とか「内部留保を吐き出せ」としか言ってこなかった。もちろん、この提起は正しい。しかし、このことを言ったあと、目の前の大企業の姿をみて、非常に虚しい思いにならざるを得なかった。それは、そこに存在する「産業」に対する思い、あるいは分析といえるものの乖離が、両者の間であまりにも大きかったからだといえる。
 今回の「電機・半導体の凋落」問題は、その溝を一程度埋める役割を果たしてくれたと思っている。そこに、湯之上氏のような優れた技術者の、ある意味「内部告発者」が現れてくれ、産業界の内情と技術の中身が一程度理解できたことにより、今回のような具体的な提言が実現した。
 この提言が、正しいかどうかは実行してみなければ分からない。しかし、熊本という一地方に住み、そこに暮らす労働者・市民の雇用と生活に、われわれ労働組合は、責任を負っている。労働組合は、憲法に具体的に規定されている唯一の組織である。その重みを考えた時、ルネサス錦工場に働く労働者と、それによって支えられている球磨郡市の経済と住民の生活に対する不安に思いを馳せるとき、われわれはそれをどうやって守ればいいのか、正直に言って、この間、苦しみもがいて来た。しかし、産業の歴史と構造を理解することによって、落ちるところまで落ちたこの業界を再生させる道に、光が見えてきたような気がする。
 最後に、熊本県知事をはじめ、住民の生活といのちに責任をもつ立場の人間が叡智を尽くし、この提言に応えていただいて、ルネサス錦工場の「ひと」と「もの」が活かせる道を創造できることを追求したい。


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