第9回 4つのフリーライド



 いまから15年ほど前に、電機労働者懇談会において、「現代労働問題分析(法律文化社)」という本を課題図書として、みんなに学習を薦めたことがありました。この本に「フリーライダー(注1)」という言葉が登場します。フリーライダーとは「タダ乗り」をする者という意味で、対価を払うことなく何らかの恩恵に浴す者をそう呼びます。しかしこの本では、をもう少し具体的な意味でこの言葉を使っています。

 電機・情報ユニオンはこれまで、会社でリストラに遭ったり、パワハラに遭ったり、さまざまな理不尽なかたちで不利益を被った労働者から多数の相談を受けてきました。相談者の多くが電機・情報ユニオンに加入し、その中の少なからぬ方が会社との団体交渉を通じて権利の回復をはかってきました。こうして当人の問題が解決したのち、そのままユニオンに残って活動を続ける方がいる一方で、組織に定着することなく脱退するか、または組合員としての籍を置きながらも活動からは身を引く方などもいます。一般的には後者が多数派で、これは電機・情報ユニオンに限らず、個人加入が可能な労働組合に共通する傾向であり、それぞれの組織の存続に関わる問題でもあります。

 この本でいうところのフリーライダーとは、この後者に近く、自分の問題解決のために労働組合を利用しながら、組織のためには働いてくれない人のことを言っています。つまり、対価としてお金を払わないという意味よりもむしろ、働きをしないという意味で使用されているということです。(注2)フリーライダーと言う、何とも穏当でない表現が後ろめたさを感じさせるのですが、誤解されないようにいちおう断っておくと、本書ではそのような行動にならざるを得ない労働者の状況についても理解する立場で論じられています。

 さて、今回から数回にわたり、このフリーライドの概念を労働組合に限定しないで、私たちと労働との関わり全般に拡張して話をしていきたいと思います。

 まず、この議論の前提として、私たちの社会がどのような労働によって成り立っているのかを先に確認しておきます。社会は、会社でする仕事のような賃労働(ペイドワーク)だけで成り立っている訳ではありません。もうひとつの主要な柱として、家事や育児や介護など、お金は出なくとも日々の生活を根本から支え、労働力の再生産、あるいは世代を超えた人間の存続に必要な無賃労働(アンペイドワーク)もあります。そして、それらの中間となる地域やコミュニティを支える労働(多くが無償であるか、または営利目的ではない)も忘れてはいけません。これら3種類の労働のそれぞれについて、十分な労力や対価の提供をせずに恩恵に預かるフリーライドの存在する余地があると考えられます。

 ひとつ目の会社等で行う賃労働に対するフリーライドは、私たちにとって一番馴染みがあって分かりやすいと思います。要するに仕事に対する対価が十分に払われていないという状態を指します。給料そのものが安いという場合だけではありません。サービス残業のような「賃労働の中の無賃労働」も含まれます。月俸者(管理職)であれば、特にテレワークの普及している現在、プライベートとの境目もあいまいなまま長時間労働をしている方が多いのではないでしょうか。主任、技師クラスでも、裁量勤務手当の範囲を超えた残業をしている方は多いと思います。これらは会社が十分な対価を払わず、「みなし労働時間」を超えた社員の労働にフリーライドしていると見ることができます。

(以上のような明らかなタダ働きだけでなく、そもそも私たちは働いた分のすべてを賃金としてもらっている訳でもないのですが、これについての詳細は別項で述べたいと思います。)

 それに比べると、無賃労働に対するフリーライドは、少し気づきにくいように思います。日本では、共働きの家庭であっても、育児や介護や家事を負担する割合は女性の方が男性よりもずっと高くなっています。(注3)そのために、女性の平均的な労働時間は実は男性よりも長く、逆に睡眠などの休息時間は男性よりも短いと言うデータがあります。男性ももちろん負荷が大きいのですが、女性の負荷はさらに大きいという疑いがあります。男性が外で長時間労働を余儀なくされていることが、これらケア労働への参加を妨げている面もあり、そのしわ寄せが女性に行っていると言われます。

 3つ目の、地域やコミュニティを支える労働へのフリーライドとは、具体的には政治的な活動、労働組合活動、町内会や自治会、PTAや学童保育や保育園の父母会、宗教関係など、さまざまな社会活動への不参加を意味しています。

 以上が、賃労働へのフリーライド、ケア労働などの無賃労働へのフリーライド、そしてその中間の地域やコミュニティを支える活動に対するフリーライドの概観となります。(注4)

 そのうえで、これら3つに、もうひとつフリーライドの形態を付け加えたいと思います。それは自分自身に対するフリーライドです。私たち一人ひとりには幸福を追求する権利があります。好きなものを食べ、ゆっくり休息を取り、けがや病気や疲れをいやし、家族や友人と過ごし、スポーツや運動をしたり、趣味に打ち込んだり、旅行や娯楽を楽しんだり、文化や芸術に触れたり、静かに思索にふけるなどは、私たちの人生を潤いのある豊かなものにするために欠かせない行動です。ならば、これらを捨てて、そこに注がれるはずだった時間やエネルギーを他の仕事に割くことは、自分自身へのフリーライドだと言えるのではないかと思います。

 これら4つのフリーライドを回避し、すべての仕事や活動をつつがなくこなしている人は、ほぼ皆無だろうと思います。しかし、4つをほぼ均等にバランスを取っていると言う人も、やはりほとんどいないのではないかと思います。なぜなら4つのフリーライドには、ただ乗りする者とされる者との力関係を反映した優先順位のようなものがあるからです。例えば、賃労働と無賃労働では、無賃労働の方が優先順位が低くなってしまいがちです。先ほど述べたように、外で長時間労働をする男性が、家庭でのケア労働を妻にフリーライドするという構造がまさにそれです。女性の休息時間の短さというのも、女性の方が自分自身へのフリーライドをより多くさせられていることの現れと言えます。なお、ここでの力関係とは、伝統的な男女間の差別構造に基づくものもありますが、それだけではなく、社会全体の格差や不平等の構造が強力に作用していることを言っています。

 この続きは第11回「フリーライドの重層構造」でお話します。

2025年10月11日

注1)石井まこと、兵頭淳史、鬼丸朋子編 「現代労働問題分析(初版 2010年4月5日 法律文化社)」の「労働組合・労使関係問題の争点 ▶労働組合の活路を拓くために」より。フリーライダーについては本書201ページ参照。

注2)組合費を納めているので”ただ乗り”ではないと考える方がたまにいるのですが、実際のところ組合費で役員の人件費がすべてまかなえるのはルネサスグループ連合のような大企業の労組くらいで、個人加入のユニオンでは大変厳しい状況にあります。電機・情報ユニオンのような数百名規模の組合員のいる労働組合でさえ、組合費は必要経費をまかなうのが精いっぱいで、役員は無報酬、かつさまざまな活動で持ち出しになっているのが現実です。

注3)OECDの2020年の調査によれば、日本の無償労働時間の男女比は、女性が男性の5.5倍となっています。

注4)ケア労働という言葉には、地域やコミュニティを支える活動も含まれるという考え方もあります。また、介護や看護など賃労働として行われるケア労働もあるのですが、ここでは狭義の意味としています。




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