第28回 CEOの高額報酬は必要悪なのか


 1月から賃金・報酬制度について、その金額や格差の根拠は何だろうかということを掘り下げながら、10回にわたり論じてきました。

 会社はペイ・フォー・パフォーマンスを徹底すると言っています。このパフォーマンスとは結局、会社の売上や利益にどれだけ貢献したかということのようです。しかし会社が利益を上げたからと言って、それが社会に対する貢献とイコールではないことを述べました。また、一方では、いわゆるエッセンシャルワーカーなど、社会でもっとも必要とされる仕事をしている人たちの多くが、平均よりも低い賃金しか受け取っていないことにも言及しました。つまり私たちの賃金は、社会への貢献度を反映したものではないのが現実だと言えます。

 社員の賃金格差をどんどん拡大している企業のCEOからは、「頑張った人に報いたい」という発言も聞かれます。まるで成果は頑張りの結果と決めつけているかのようです。さらには賃金や一時金が低いのは成果が出ていないからであり、成果が出ていないのは頑張っていないからであり、つまりは怠惰な個人に原因があると言っているようにも聞こえます。

 確かに私たちも、苦労に耐え克服しようとする頑張りが報われて欲しいとは思うでしょう。しかし、何に苦労するかは人それぞれで、したがって何にどのくらいの努力が必要かも、人によって全く異なるのが事実です。個人によって素質や能力、生育環境、現在置かれている状況は異なるし、そもそも努力をする以前に必要な努力というものもあるはずです。しかも努力や頑張りは本質的に目に見えないものであり、他人どうしで比較することが出来ないものでもあります。だから賃金を努力の対価として格差を正当化するという理屈には無理があります。

 いずれにしても、どんな理屈をひねり回そうとも正当化できないのが、CEOなどの会社役員の超高額報酬です。このことについては、トマ・ピケティの以下の言葉も引用しました。

「では個人の主観や選んだ職業・職種の多様性、さらに経済社会的組織におけるインセンティブ上の必要性からして、どの程度の所得格差なら妥当と言えるだろうか。1対3、1対5程度であれば、目標に照らしてまずまず及第と言えるだろう。一方、1対50のような格差は、歴史上のさまざまな事例が示すところからしてもとうてい正当化できない。」

 そもそもCEOなどの高額報酬は誰が決めているのでしょうか。企業収益から株主に多額の還元をするCEOは、株主にとって実に都合の良い存在であり、その見返りとして高額報酬を与えるという共生の構造があることは見逃せません。もはや純粋な労働の対価とはほど遠いどころか、労働者の賃金の一部をピンハネして株主に渡すお礼に、その一部を自分のポケットに入れていると言っても誤りではないでしょう。

 つまり、これまでの議論を総合すれば、CEOなどの超高額報酬こそは不当の極みだということになります。それならば、なぜこのような超高額報酬がアメリカでも日本でも、他の欧米諸国でも見られるようになっているのでしょうか。

 その歴史的経緯について、ピケティによれば、所得税の最高税率引き下げが契機だったとされています。第二次大戦終結から1980年頃までは、アメリカでは最高税率が80~90%に達していました。イギリスに至っては90%を超え、フランスやドイツでも60%程度の高税率でした。こうした状況では、CEOなどが報酬を増やしても、そのほとんどは税金として政府に行ってしまいます。そのような訳で報酬を増やすというインセンティブが生じなかったのですが、そのことがまた、経営者の生産性を上げようという意欲も削いでいたという見方があったと言います。

 その後1980年代に新自由主義が台頭し始めると、所得税率は段階的に引き下げられていきました。ではそれで
経営者がやる気を出して生産性が上がったのかと言えば、実態はまったく逆で、1950~1990年と1990~2020年のアメリカの経済成長率や国民所得の増加率を比較すると、後者は前者の約半分となっていることが判りました。(注1)むしろ経済成長は鈍化したのです。

 むしろCEOたちは生産性を高めること以前に、自らの報酬を増やすことに熱心だったと言うことです。その手段として、報酬を株価に連動させる仕組みが生まれ、1982年にはそれまで株価操縦であるとして違法だった自社株買いもアメリカで合法化されていきました。株価を釣り上げ、株主を設けさせたお礼として高額報酬をいただくという手法が定着していったと言うことです。

 結局のところ、CEO等が高額報酬を得るような構造は、経済を発展させるどころか、かえって阻害している疑いがあります。つまり、現在の資本主義社会においては経済を活性化させるための必要悪どころか、真に「ムダの中のムダ」である疑いが濃厚だということです。・・・と、つい最近まで私は思っていました。ところが。

 最近、日本では「黒字リストラ」という言葉が、かなり一般的に聞かれるようになりました。今年の1月には東京新聞が特集記事を組んだところ大きな反響があったと言います。電機・情報ユニオンの森書記長が同紙の取材に応えている記事についてはXでも紹介しました。

 黒字リストラという言葉がいつ生まれたのかは定かではありません。少なくとも電機労働者懇談会(電機懇)では、10年以上前の2015年の時点ですでにこの言葉を使っていました。当時はリーマンショックや東日本大震災から日本企業が立ち直りつつあった時期にあたります。2015年には日立製作所が過去最高益を記録してもいます。ところが日立は「スマトラ・プロジェクト」と称する経営方針を新たに掲げ、たとえ利益が上がっていても、利益率が低いことを理由にグループ内企業を売却するなどのリストラ策を展開していきました。

 それまでは赤字だからやむを得ずリストラするという方針だったものが、黒字でもリストラするという方針に各企業が転じて行ったのです。ルネサスもまた然りです。それで当時の電機懇や電機・情報ユニオンは、これを「黒字リストラ」あるいは「常時リストラ」として糾弾し、情宣活動を行ってきました。黒字リストラという言葉を広めたのが私たちなのは確かですが、もしかしたら作ったのも私たちだったかも知れません。

 この黒字リストラが最近、いよいよもって苛烈さを極めてきています。例を挙げると、パナソニックは25年度の純利益が2400億円でしたが、同業他社と比べて低収益であることを理由に1万2千人を削減すると言います。三菱電機に至っては3年連続で過去最高益を記録し、25年度は3600億円の黒字でした。しかしビジネスモデルの変革や経営体質の強化のため4700人を削減すると発表しました。

 極めつけは(作田元会長の出身母体である)オムロンで、25年の純利益は81億円ながら、株主にはそれを大きく上回る205億円もの配当をしました。しかも代わりに2000人の削減。利益を超える配当を出して、その費用を捻出するために人員削減をするという異常ぶりで、ある種のモラルハザードが起きていると感じます。

 つまり、CEOの高額報酬は、現在の資本主義社会におけるムダの中のムダという表現すら生易しく、経済を壊し、人々の生活を壊し、(前回述べたように)民主主義を壊すことで、実は社会そのものを破壊する元凶でさえあり得ると私は思うようになりました。

 そこで次回は、社会を健全化する賃金・報酬とは何だろうかということについて考えてみたいと思います。

2026年 5月21日

注1)トマ・ピケティ著、山形浩生・森本正史訳「資本とイデオロギー(2023年8月22日 みすず書房)」の「近代的成長の源泉としての教育の平等(512-516ページ)」や、「21世紀の資本(2014年12月8日 みすず書房)」の「重役給与の爆発(531-535ページ)」などを参照。米国経済は1950~1970年の方が、1990~2010年よりもイノベーションがずっと多く、生産性成長が2倍近くあったとも言っています。



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