第27回 もらった報酬は全部好き勝手に使っていいのか
米大リーグで活躍中の大谷翔平選手が、2023年のシーズンオフに日本の全小学校にグローブを3つずつ、計6万個を寄贈したことが話題になりました。大谷選手の年俸は10年間で1000億円を超える莫大なものですが、それでもグローブ6万個の費用は総額12億円と言われ、大変な出費です。こんなお金の使い方ができる大谷選手は、おおらかで優しい人柄なのだろうと思います。しかしどこか心に引っかかるものを感じます。なぜたった一人の人間に、こんなことが出来てしまうのだろうかと。
大谷選手のように高額収入を得ている個人が、寄付や慈善活動にお金を使うというのは、海外では珍しくないと言われます。寄付金は所得税の課税所得から引かれるため、こうした行為には節税という面もありますから、見方を変えれば、自分の支払う税金の使い道をすべて国や自治体に委ねるのではなく、一部は自分の意志で決めているとも言えます。
仮に私たちルネサス社員の年収中央値を600万円として(注1)、その1/4を所得税や消費税その他の税金として納めていると仮定すると、年間の納税額は一人あたり150万円です。大谷選手のグローブ代12億円は、私たちルネサス社員800人分の納税額に相当することになります。国や地方に納められた税金の使い道は、当然ながら市民の代表が議会で話し合って決めています。みんなでお金を出し合い、その使い道をみんなで決めるというのが民主主義の基本です。ところが大谷選手は、私たち800人分の税金に相当するお金の使い道を、たった一人で決めることが出来ています。これは民主主義という観点から見て適切だと言えるのでしょうか。
もし全国の小学校にグローブを配ることが、学校教育上適切な施策だとすれば、国が予算を組んで実行すれば良いことです。大谷選手には、わざわざ個人で労を負っていただくことはなく、グローブ代に使うお金を税金として納めて頂いて、そのお金を使って実行すれば良いことになります。さらにもし、もっと他に優先すべき政策があるとしたら、ますます税金として納めていただいて予算に活用する方が良いということになります。
とはいえ、上記はあくまで理屈の上のことでありますので、現時点で出来得ることをやっている大谷選手は、やはり尊敬に値します。むしろ彼のような殊勝な行動をする人は少数派で、圧倒的多数の高額所得者たちは、社会のためにお金を使うより、むしろ自分のために使おうとするのではないでしょうか。そして、このような現象が個人の行動のみならず、巨大企業にまで拡大したらどうなるのでしょうか。カール・ローズ著「WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす」(注2)は、こうした観点から巨大企業によって民主主義が乗っ取られる危険性があることを警告しています。本著作においては、中野剛志氏による巻頭解説が、「意識高い系」資本主義の概略を簡潔に説明しています。
例えば、アマゾンの創業者であるジェフ・べゾス氏は、2020年に気候変動対策に100億ドルもの大金を寄付したとのことです。なんと殊勝な心掛けかと思いきや、一方でアマゾンは巧みな租税回避措置によって、法人税をほとんど払っていないのだと言います。世界屈指の超巨大企業でありながらです。こうした一見矛盾する行動には、税金を納めるよりも寄付をして、社会正義に貢献しているかのように見せる方が企業のイメージ向上につながり、経済的利益につながるからという面があります。しかし問題はそこにとどまらず、その本質は国民の代表からなる政府の機能を弱体化させ、真の社会正義の実現のために企業活動を制限するようなことには全力で反対し、もって自分たちの権力を守ることにこそあると言うわけです。
さて、いまや日本の大手電機のCEOや役員たちも、数億円やそれ以上の高額報酬を得る傾向が、ますます露わになってきています。彼らが大谷選手のように殊勝なお金の使い方をしているかどうかは知りません。いずれにしても、例えば10億円を稼いだCEOが、それをすべて自分の目的のために処分して良いとする哲学的根拠は何でしょうか。一部の人はこれを自明のことのように思っているかも知れませんが、実はまったく自明ではありません。
法的根拠と言う意味では、財産権は憲法で保障されているものです。1789年のフランス人権宣言では、その17条において「所有権は、神聖かつ不可侵の権利である」とされました。しかし20世紀になり、1919年のワイマール憲法において「所有権は、義務を伴う。その行使は、同時に公共の福祉に役立つべきである」(153条3項)と定められ、財産権が不可侵の権利ではなく、公共の福祉という概念にて社会的な拘束をかけられるようになりました。そして日本国憲法でも29条の2項で「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」としています。
では「公共の福祉に適合」とは、どういう意味でしょうか。以下に芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法 第3版」から引用します。
「ここに言う『公共の福祉』は、各人の権利の公平な保障をねらいとする自由国家的公共の福祉のみならず、各人の人間的な生存の確保を目指す社会国家的公共の福祉を意味する。つまり、財産権は内在的制約のほか、社会的公平と調和の見地からなされる積極目的規制(政策的規制)にも服するものである。」(注3)
要するに、私たちみんなが幸福に生きられる社会の実現を目指して使いなさいということです。この29条2項に照らせば、そもそも社員をリストラし、実質的に賃下げを行いながら、捻出したお金で配当や自社株買いをして株価を釣り上げ、そのお礼に一部の役員だけが大金を手にするなどという企業の財産の使い方自体が、明らかに望ましくないと言えそうです。まして、そうして得たお金を自分のためだけの目的に使うなど論外ではないでしょうか。そうならないように、高額所得者が例えば1000万円を超える買い物(貴金属や美術品等は合算で計算、不動産は1億円以上)をした場合や、株式や有価証券等を買った場合などについては、それらの情報を毎年公開して然るべきではないかとも思います。
個人や企業の獲得した莫大なお金を、いかにして社会に還元させ、その使途を民主的に決めていくかは、環境問題などの私たちみんなが直面する問題に対処していくための予算を確立するうえでも必要な条件であり、21世紀における私たちの最大の課題であると思います。
2026年 5月11日
注1)2025年度の有価証券報告書によれば、中央値は630万円。
注2)カール・ローズ著「WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす(2023年4月27日 東洋経済新報社)」
注3)芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法 第3版(2002年9月26日 岩波書店)」214ページより。なお、本著は2023年の第8版が最新版ですが、手元にある第3版より引用しました。