第22回 努力以前に必要なもの


 前回、努力とは「精神的、肉体的な負荷を伴う行動によって何かの目的を成し遂げようとすること、およびそこに直接・間接に費やした資源(精神的・肉体的なエネルギーや時間、場合によってはお金も)のこと」と定義しました。私たちが良い仕事をしようと思えば、当然ながら努力が必要です。しかし、そもそも純然たる努力を仕事に注げる状況にある人は、かなり恵まれた幸福な環境にいるのではないのかと私は思います。今回はその話をします。

 このコーナーの第9回~14回にフリーライド(タダ乗り)の話をした際に、仕事には賃労働(ペイドワーク)と無賃労働(アンペイドワーク)があり、無賃労働が社会の存続の上で重要な役割を果たしていながら、賃労働の方が優先されてしまっているのが現実であると述べました。そして、より高賃金を獲得する人が、より低賃金の仕事や無賃労働に従事する人々にフリーライドする構造があるという話をしました。これは要するに、大企業などで世間一般の水準よりも高賃金の仕事に従事できる人は、(たとえルネサスのようにかたくなにベースアップを拒み続ける企業であっても)多くの他人の仕事の上にフリーライドすることを前提に今の状況を維持できているのではないかと言うことです。付け加えるなら、それらの仕事を成り立たせている人々の努力や頑張りにフリーライドできているからこそ、会社で期待されるレベルまで仕事に注力できるのではないかと言うことです。

 仮にそうだとして、大企業に勤めている人は一般に厳しい就職活動を乗り越え、入社試験に合格して現在の仕事に就いている訳ですから、そこに至る過程でも多大な努力があったでしょう。特に学生時代には人並み以上に勉強されたことと思います。しかし学業で成果を上げるためには、当人の努力もさることながら、素質や環境の影響もとても大きかったということはないでしょうか。

 数千年前に文字を発明し、数百年前に活版印刷の技術を獲得した人類は、獲得した知識と経験を記録し蓄積し複写することで、同時代の無数の人々や子孫の世代に伝えることができるようになりました。私たちが学習できることのほぼすべては、先人たちの成果の集積であり、どんなに優秀な人でも、個人の一生をかけてその膨大な知の体系にほんのわずかばかりの新たな知見を加えることが出来るに過ぎません。一冊の本には、それを読む努力の何倍もの努力をして書き上げた著者が居て、その向こうには、書かれるに値する知見を見つけた別のもっと多くの人々の努力があります。本を読んで学ぶことは、それらの努力を自ら実践する機会をすっ飛ばして、例えは悪いですがある種のカンニングするのに近いとも言え、ずっと些細な努力に過ぎないと私は思います。

 では、こうした人類の英知の結晶が、万人に共通に開かれているかと言えば、まったくそうではありません。国や地域によって著しい差があることはもちろんですが、日本の国内においても、今や「学業の沙汰も金次第」になっているのが現実です。塾や予備校や学習教材には、とにかくお金がかかります。家庭の経済状況と学歴との間には、顕著な相関関係があることが知られています。(注1)

 家庭環境という面では、経済的な事情以外にも、親や家族との関係も重要になります。心理的に安定した家庭環境で高い教育期待を受けながら育つ子供がいる一方で、心理的虐待、身体的虐待、放置など、児童相談所に寄せられる虐待の件数は年間に20万件を超えており、実際にはこれよりももっと多くの虐待が行われていると推測されています。最近は、ヤングケアラー(学校に通う年代の子供や若者が、大人の代わりに家事や家族の世話などを行っている)となっている若者も5%前後いると目されています。

 学校の環境も重要です。潤沢な資金のある私立学校と公立学校の格差、施設の充実した私立の保育施設や比較的保育の質の高い公立の施設と無認可の保育施設の格差など、教育環境の格差の問題あります。いじめや体罰、学校環境への不適応などによって、学習の機会が大きく損なわれることも問題です。

 さらには、本人の生まれ持った素質も見逃せない要素です。さまざまな障がいや病気を持って生まれてくる子もいます。以前は障がいと認識されていなかったものの、現在では発達障がいとしてADHD(注意欠如多動性)やASD(自閉スペクトラム症)、LD(学習障害)も良く知られるようになりました。そのような障がいが無くとも、個性は多様で、環境や学習への適応力には先天的な素養が大きく関わっていることも知られています。

 以上から、大手電機に就職できたことや、現在の仕事に注力することができるというのは、本人の努力だけで成し遂げられるようなことではなく、さまざまな条件に恵まれた上ではじめて出来ることのように思えます。だからもし「低賃金労働が嫌なら、自分たちと同様の努力をして高賃金労働の機会を手に入れれば良いではないか」という声が聞こえてきたら、上のようなことを思い出してほしいと思います。

 このテーマにはまだ重要な観点が残っていますが、この続きは次回とします。

2026年 3月21日

注1)トマ・ピケティ著、山形浩生・森本正史訳「資本とイデオロギー(2023年8月22日 みすず書房)」の36-37ページ「イデオロギーの凍結と新しい教育格差」を参照。なお、本著に掲載されているグラフは、次のURLから参照できます。https://cruel.org/books/piketty/ideology/
「個別本文図表へのリンク」→「図I-8 親の所得と大学進学, 米国 2014年」を参照していただくと、アメリカの例ですが親の所得と子供の高等教育へのアクセス率に顕著な相関があることが分かります。



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