第21回 努力・頑張りとは何だろうか
前回(第19回 成果は個人の頑張りの結果か)では、頑張ったことが成果に結びつくとは限らないし、そもそも成果主義自体が努力や頑張りを評価する制度ではないと述べました。どのみち頑張ったか頑張らなかったかによらず成果で評価しているのであれば、先のCEOの発言のように「頑張った人に報いたい」などと言う必要は本来ないはずです。(それこそ「ペイ・フォー・パフォーマンスを徹底する」などど分かりにくい言い方もやめて、「成果を出した人に報いたい」とストレートに言えば良いのではないでしょうか。)
しかし一方で、むしろ私たち労働者の側にも、努力や頑張りを認めてほしいという声は根強くあると思います。それなら賃金制度はKPIの達成度などの数値で現れた成果だけでなく、努力や頑張りも反映させるような制度に改めるべきなのでしょうか。確かに「頑張った人がたくさんもらうのが当然」という思いがあるのも自然なことと思います。しかしでは努力とは、頑張りとは何でしょうか。そう改めて問われれば、たいていの人は、精神的、肉体的な負荷を伴う行動によって何かの目的を成し遂げようとすること、およびそこに直接・間接に費やした資源(精神的・肉体的なエネルギーや時間、場合によってはお金も)のことを思い浮かべそうです。
これらのうち、比較的わかりやすいのが「時間」だと思います。そして現に賃金は、基本的には時間見合いで支払われるものとなっています。つまり労働に費やされた個人の時間という資源は、それに比例した賃金となって報われているということです。加えて長時間労働に対しては、法定労働時間の超過分に対して割り増し賃金を支払うことや、深夜残業手当、休日出勤手当の支払い義務などが法律で定められています。
しかし一方で、労働基準法38条の3および4で定められている裁量労働制が、みなし労働時間(時間外労働に相当する時間が月に20~30時間とみなされていた)と実際の労働時間とのギャップから大量の未払い残業代を生む制度として機能してきたことは、当事者のよく知るところです。大手電機各社が裁量労働制を採用したのは90年代のことでした。この制度は結局、残業代分の人件費を削減する制度として機能したことになりますが、労働者側にとっては費やした時間と労苦がそれ以前の制度と比較して直接には報われない制度になったともいえます。
例えば顧客から深刻なクレームを受けたとき、QA、営業、工場、設計、生産管理、量産技術など、関係部門が緊急で会議を開き、深夜まで、場合によっては徹夜の仕事になることもありました。他にも開発日程が迫っているとき、顧客からのデリバリー対応で必要なとき、決算前なども、長時間の残業になることがあり、こうした経験を全くしないで済んだ人の方が少ないだろうと思います。したがって裁量労働制が適用される以前のように残業代が時間に応じて支払われるというのは、日ごろの頑張りに対して素直に賃金が上積みされるということでもありました。(注1)それが翌月の給与明細に示された残業代となって返ってきたことで、報われているという実感を得ることができたものです。裁量労働制の導入は、こうした頑張りが報われるという素直な感覚を失わせたという点で、労働者の意欲を大きく削いだ疑いがあります。総合的に見て、割り増し残業代の踏み倒しという”効果”に見合った利益を企業にもたらしたのかどうかは実に怪しいと私は思っています。(もっと言えば、これもまた日本の失われた30年を作った原因のひとつだったのかもしれません。)現在、高市政権では裁量労働制の拡大が模索されていると聞きます。本当にそれでいいのでしょうか。
さて、努力や頑張りのうち、「時間」と違って見えにくいのが費やされた「精神的・肉体的なエネルギー」だと思います。これに関しては、一番極端な例として、うつ病を思い浮かべてみるのが理解しやすいと思います。うつ病は、現在では誰でもなり得る(むしろ人一倍きまじめな人の方がなりやすい)病気として認識されていますし、実際に常にある一定数の社員が罹患し、また回復して職場に復帰したりしています。しかしかつては、うつ状態の不活発な外見だけを見て、”なまけ病”などと言われたこともありました。外見とは裏腹の、心の中にある激しい葛藤が理解されなかったからです。ここで言いたいのは、うつ病の心の中で消費される莫大な精神的エネルギーに象徴されるように、こうした労苦・辛苦は外見からはよくわからないということです。そういったものを他人どうしでどちらがより多くを費やしたかと比較することはできないし、まして賃金制度の中に要素として盛り込むことは不可能か、または多分に偏見を含んだ不適切なものにならざるを得ないだろうということです。
私たちは、何をどうしたら良いのかが、その手順を含めて具体的に分かっているとき、それを遂行する能力が自分にあると感じられるとき、それを遂行することが有益であると思えるとき、その仕事を頑張れるものだと思います。なぜならそこには葛藤がないからです。そのような頑張りは、外からも見えやすいし、もちろんとても貴重なものです。しかし他方では葛藤ゆえにそのような状態になれない人がたくさんいることへの想像を失うと、見えやすい頑張りを過大評価してしまう恐れがあると思います。
2026年 3月11日
注1)時間外労働の割り増し賃金については、単純に労苦に報いるためというより、労働者に長時間労働をさせないためという目的があります。割り増し賃金を払うよりも新たな労働者を雇った方が安いという状況を作ることができれば、雇用対策と長時間労働防止による労働衛生の両方を推進できるからです。そのため欧米諸国などでは割り増し率を1.5~2倍にするのが一般的です。日本の法定割増率の25%(60時間超から50%)は相対的に低く、長時間労働を防止するには引き上げが必要と言われています。