第2回 資本の論理に負けない −本連載のメインテーマ−



  世界中がコロナ禍に見舞われる前の2019年の春に、電機労働者懇談会(ルネサス懇や、日立懇、NEC懇、東芝の職場を明るくする会、沖電気の職場を明るくする会、その他の企業や地域の電機労働者が活動する団体の集まり)が、電機・情報ユニオンと共同で賃金政策提言冊子を作成することになり、私もそのメンバーとして参加しました。この提言冊子は1年余りの作成期間を経て、2021年1月に完成しました。「資本のイデオロギー攻撃に対抗する」というのが、この冊子を作成するうえで掲げたテーマでした。

 「資本のイデオロギー攻撃」とはいったい何でしょうか。そんなに若い世代の人でなくとも、「資本」とか「イデオロギー」とかいう言葉には、どこか古めかしい響きを感じるかも知れません。そこに「攻撃」というものものしい言葉がくっついています。この冊子は電機の職場で働く一般労働者に読んでいただくことを目標に作成されたものですが、何の説明もなくこんな言葉を持ち出されれば、それだけで何だか自分達とは違う考え方をする、ちょっと近寄りがたい人たちの作成したキワモノ冊子と思われてしまうかも知れません。変な誤解を避けるためには、身近なところから説明していくのが適当かと思います。

 例えばルネサスでも他の会社でも、資本回転率というものを重視していると思います。これは資本(もとでとなるお金)を使って製品に変え、その製品を売ってまたお金に戻す、そのサイクルをどれだけ速く回して効率的に利益を上げているかを表す指標です。資本回転率を上げられないと、出資者から資本を引き上げられてしまったり、銀行から融資が受けられなくなって、企業の存続ができなくなるかも知れないなどと、どこまでが事実でどこからが脅しなのか分からないようなことを言われながら、私たちは日々の仕事に追い立てられていますね。このように、資本のイデオロギー攻撃とは具体的には、私たちの行動を資本(の増殖)にとって都合の良い方向へ変えることを目的に、自らそのような行動を選択するように、私たちの考え方の枠組みを作る、または変えるような働きかけ(圧力)のことを言います。

 そのように説明すれば、他にも似たようなことが次々と思い浮かびませんでしょうか。例えば、「リストラをしないと勝ち残れないから必要だ」とか、「ペイ・フォー・パフォーマンスを徹底すべきだ」とか、あるいは「営業利益率が25%以下ならボーナスはゼロにすべきだ」とか、はたまた「厳しい競争がいやなら半導体産業が合わないから辞めるべきだ」とか、いろいろな「べき論」でくくれる事象があると思います。これらのべき論に共通するのは、あるべき姿を体現できなければ不幸になっても仕方がないかのような印象を強力に与えていることです。つまりイデオロギー攻撃の「攻撃」とは、事実としてリストラや賃金引き下げを実行するというだけでなく、不幸になるかも知れないという恐れの感情を誘発する精神的な攻撃を含むものとなっています。もしこの攻撃を跳ね返すことができなければ、私たちは恐れの感情に突き動かされながら、一生懸命仕事をして資本の増殖に貢献するか、またはリストラや賃下げに遭って不幸になることと引き換えに消極的に資本の増殖に貢献するか、どちらにしても幸福になるのが難しい状況へと追いやられてしまうことになります。

 とはいえ、このような資本のイデオロギー攻撃は最近始まったというものでもありませんので、上記のような「べき論」をすでに私たちの側が取り入れてしまっている部分もあるだろうと思います。現に労働組合のルネサスグループ連合の執行部は、会社の勝ち残りのために必要な施策としてリストラや定期昇給の見送りを位置づけているようです。それらへの理解を組合員に促すのが執行部の役割と位置づけ、その成果として一定の理解が組合員の間に進んでいるとの報告もしています。(例えばRGUNewsのNo.319)さすがに労働組合がここまで迎合できてしまう背景には、会社側による直接的な攻撃だけでなく、もっと漠然とした大きなうねりのようなものが社会全体にあって、そこに私たちが適応していく過程において、知らず知らずのうちにある傾向の考え方や態度を身に着けていっているという面が、かなりあるのかも知れません。

 仮にそうであるとするならば、資本のイデオロギーやそのおおもとになる価値観を身に着けている私たちとは何かについても考察する必要があるのではないかと思います。私たちの考え方の癖のようなもの、いわばイデオロギー攻撃に適応する形で獲得してしまっている価値観とはどんなものかを取り出してみて、それが本当に正しいのだろうかと改めて見つめ直すことが必要かと思います。こうした私たち自身への深い内省が無いと、日々の資本のイデオロギー攻撃に気づかずに見過ごしてしまうことになります。

 そこで今回のタイトルである「資本の論理に負けない」と言うのが、これからの連載の土台となるテーマです。とはいえ論文のような堅苦しいものを書くつもりはなく、随筆・エッセイとして、少し気楽に書き連ねていく予定です。ときには時事の話題なども取り込みつつ、うろ覚えの記憶をもとにしたものや、個人の感想に属するものを書く場合もありますが、一方でファクトチェックされないネット情報が社会問題にもなっている現実をかんがみて、重要な論点を構成する部分については、できるだけエビデンスや引用元などを明確にしたいと思います。

 以上、よろしくお願いいたします。

2025年7月31日





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ルネサス懇