第19回 成果は個人の頑張りの結果か



 前回は、一般論として、たくさん稼いでいる人がそれに比例して努力しているとは限らないことについて述べました。今回は、そもそも成果主義における成果それ自体が、本当に個人の努力や頑張りを反映したものと言えるのかどうかについて、ちょっと考えてみたいと思います。

 電機労働者懇談会(電機懇)が毎年行っている春闘アンケートでは、「処遇制度で困ること・不安なこと」として「不透明な査定基準」が毎年最も高い結果となっています。今年2026年のアンケート結果(下図)でもその傾向は続いており、「恣意的な評価」がそれに続いています。会社の評価の仕組みや運用の不適切を不満に思う声が強いことがわかります。評価の結果としての減給や一時金の大幅格差よりも、評価のあり方をより問題視すると言うのは、かなり特徴的なことに思えます。不透明な査定基準の何が問題かと言えば、個々の実感としての働きと処遇とが合っていないとか、どうすれば高評価がもらえるのかが解らないと言ったところではないかと想像します。


         


 一時金に極端な格差を付けている企業のCEOから、「頑張った人に報いたい」と言う発言が以前ありました。このCEOは、まるで賃金や一時金の多い少ないは成果次第で、成果が出るか出ないかは頑張り次第だと言っているようです。しかし本当にそうでしょうか。過去のアンケートの自由記述や現場労働者から直接聞いた話からは、これが相当程度に誤っていることがうかがい知れます。それらをまとめると、おおむね以下のようになります。

 第1に、何の仕事に就くかによって、成果の現れ方に大きな差が出るという問題があります。良くあるのが、企業の主力製品の担当になるのか、それとも傍流製品の担当になるのかの違いとか、開発や営業など成果が数値となって表れやすい仕事か、それともスタッフや信頼性品質管理など数値化が難しい(または数値が二次的だったり、他部門頼みになったりしやすい)仕事かの違いなどです。社内で何の仕事に就けるのかは、個人にとっては運である部分が大きく、自ら希望して実現する割合は、人材公募やフリーエージェントなどの仕組みのある現在でも高くありません。

 第2には、仕事は個人でするものではないという事実です。自社内だけでなく、社外の人々も含めた多くの人たちの仕事と有機的に結び付いて、はじめて実のある成果が実現できているというのが実態です。だから個人の仕事の貢献度がいくらかというのを、ばらばらに分けて計算するのは無理なことです。

 第3は、職場環境の問題です。部門の方針が不明瞭である、部門目標と自分の仕事の関係がわかりにくい、上司の指示が適切ではない、他部門との関係が悪い、必要な情報が伝わらない、教育や指導が十分に受けられない、無駄な会議で拘束される、えこひいきやパワハラがある、フロアや設備などの物理的環境が悪いなど、その他多くの要因を含め、このような個人の責任とは言えないような事柄は、大なり小なりどこの職場でも複数抱えているのが実情ではないでしょうか。

 第4は、外的要因の大きさです。半導体メーカーを含む大手電機の一時金は、全社の業績と大きく連動しているのが一般的ですが、業績は市況や為替、競合他社の動向など、個人の頑張りではどうにもならない外的要因に大きく影響を受けます。特に半導体メーカーは、「ボラティリティが高い」と言われるように、業績変動が大きい業態です。

 もとより成果主義というのは、努力や頑張りを評価する制度ではありません。(注1)努力や頑張りは本質的に目に見えないものであり、他人どうしで比較することが出来ないものです。(この点については次回述べます。)先のCEOの発言のように「頑張った人に報いたい」と言ってしまうと、あたかも賃金や一時金が低いのは成果が出ていないからであり、成果が出ていないのは頑張っていないからであり、つまりは怠惰な個人に原因があるとの印象あるいは錯覚を与えることになりかねません。このような印象が広く共有されてしまうと、賃金の低い人は人格や態度に問題があるといった偏見を強めてしまう結果になります。それだけでなく、そもそも成果が出にくくなるような職場の要因を突き止め、課題を解決していくことこそ大事なはずであるのに、そのような意識そのものが阻害される恐れもあると考えます。

 最後にひとこと付け加えるなら、年に10億円の高額報酬を得るCEOが、年収500万円の社員の200倍努力しているなどと信じる人は誰もいないでしょう。

2026年 2月11日

注1)努力や頑張りなどを評価するのは「情意考課」と言われるものに含まれます。日本企業の評価の特徴として、「業績考課」、「能力考課」とともに、この情意考課があると言われています。


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