第14回 資本主義社会のフリーライド
フリーライドに関する話は、今回で一旦終了します。
過去4回の話を簡単にまとめると、労働への対価という観点から見たとき、4種類の労働(賃労働、無賃労働、地域やコミュニティを支える労働、自分自身をケアするための労働)それぞれに対して、フリーライドとなってしまう構造があると言いました。しかもそこには重層構造があり、その構造の中身を見て行くと、結局は「より儲かる労働」の担い手が、「より儲からない労働」の担い手に依存しながら、順繰りにフリーライドをしているように見えています。だから会社で働いて賃金を貰うと言った賃労働に比べて、家庭内のケア労働などの無賃労働は下位に置かれてしまっていて、しかもその対価が十分に払われていないことを述べました。見方を変えれば、対価が払われていないからこそ無賃労働になっているとも言えます。
もしケア労働などの無賃労働や地域やコミュニティを支える労働、自分自身をケアするための労働が無ければ、企業活動そのものが成り立たないことに鑑みれば、少なくとも企業はそれらの対価を負担する義務を免れないに違いありません。しかし実はこのタダ乗りこそが資本主義の本質であることを喝破し、そのフリーライド構造を体系的に捉えたのが、アメリカの政治学者のナンシー・フレイザーです。彼女は「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか(注1)」において、資本主義が資本主義自身を成り立たせている前提条件となるものを食い尽くしながら成長し、しかもそれらの補填を行わないことで破滅に向かうシステムであることを明らかにしています。
フレイザーは、資本主義経済の外側にあって、それを成り立たせていながら資本主義経済によって食い物にされているものとして、「差別される側の人々」、「ケア労働などによる人・労働力・社会の再生産」、「自然環境」、「政治権力(特に民主主義)」の4つを上げています。このフリーライドに関する連載で主に取り上げてきたのは、2番目の「ケア労働などによる人・労働力・社会の再生産」に関してですが、これはフレイザーの議論では全体の中の一部ということになります。
では、1つめの「差別される側の人々」への収奪はどうでしょうか。資本主義の過去をさかのぼれば、国内においては囲い込みよって公共の土地を私物化したところから始まっています。そして、欧米を中心にここまで先進資本主義国が繁栄してきた裏側には、植民地化や奴隷制によって資源や労働力をタダ同然で調達してきた歴史があります。最近のトランプ大統領による相次ぐ差別的な暴言や排他的な大統領令を見るまでもなく、こうした人種差別に基づく収奪は現在でも完全に無くなった訳ではありません。
日本とて例外ではありません。日本国内にはすでに200万人以上の外国人労働者が働いています。彼らは建設や飲食、ビル清掃、介護や農業など、労働の内容に比べて賃金が安く、日本人の労働力の確保が難しい分野で多く働いています。かつての外国人実習制度では、出身国の送り出し機関から「日本に行けば稼げるから」と言われて100万円を超える保証金を払って来日したものの、実際は時給300円で長時間労働させられるとか、さらに日本側の受け入れ機関からは「強制送還する」と脅されて賃金の天引きに遭うケースなど、ひどい労働の実態が問題となっていました。法改正により、現在は労働法などが適用されるようになり、国内の最低賃金を下回る場合は厳格に違法とされていますが、それでも劣悪な労働環境に耐えられず毎年数千人が失踪しています。このような形で、外国の労働者を日本人以下に扱うことで、底辺を支える労働力としている構造があります。
付け加えるなら、介護などのケア労働に従事する外国人労働者の中には、自国に家族を残したまま日本に来ている人が多数います。(注2)つまり彼らは自分の家族のケアする機会を犠牲にして、日本人のケアのために働いているということになります。
あるいはまた、私たちの生活物価が上がっている現状に対して、賃上げをしたくない経営者が「輸入品なら安く買えるだろうから賃上げは必要ない」という理屈を言って賃上げを拒否したとします。(注3)その時、それらの輸入品は、いったいどのような労働によって生産されたものなのでしょうか。
以上から言えるのは、私たち労働者が低賃金でも何とか(あるいはかろうじてぎりぎりの)生活をしていける背景には、低賃金の私たちでも買えるほど安い生活物資やサービスを、自らはまともに生活できないほど劣悪な条件で働くことによって生産している労働者がいます。この二重構造によって、企業は莫大な収益を上げることができているのです。
3つめの自然環境について言えば、資本主義にもとづく企業活動は、自然が人類史よりもはるかに長い年月をかけて蓄えた資源やエネルギーの大半をわずかな期間に掘り出して消費し、農業・林業・漁業・畜産業は自然の回復力を超えて収奪的に行われる一方、産業活動によって生じた大量の廃棄物の捨て場所としても自然環境を利用しています。こうした自然環境の収奪が、地球温暖化、汚染と公害、生物多様性の減少などさまざまな環境破壊の原因となり、私たちの生きる基盤を損ない続けています。
4つめの政治権力の収奪は、少し分かりにくいかも知れません。まず、資本主義が機能するためには、政治権力が必要です。財産の所有や商品の取引、通貨や金融の仕組みなどを機能させるには法律の整備が必要であり、そのための立法、行政、司法機関、治安を維持する組織、それらが統合された政治権力が必要ということです。しかし一方で資本主義は、その政治権力によって自らの経済活動が拘束されることを是とせず、さまざまな規制を緩和し、あわよくば無効化しようとします。例えば、きちんと法人税を払い、すべての労働者に対し必要十分な賃金を払い、環境を守り、人々があまねく幸福になるような経済活動とすることを目的しとしないのです。その代わりに自らの利益追求に沿うように政治権力を利用した結果、上に紹介した1~3の収奪はすべて(国内法だけでなく国際法を含む)法に基づいて行われてしまっています。
欧米や日本などのいわゆる民主主義国家において、政治権力にお墨付きを与えているのは民主主義ですが、それが資本主義によって浸食されている実態を見ることができます。企業の政治献金が認められているのは日本だけではありませんが、っここ数年特に重要な政治課題となっている「政治とカネ」の問題というのは、つまるところカネによってカネのために動く政治が民主主義(人による人のための政治)を棄損している問題ということです。
さて、以上のような収奪構造を推進するのは、資本主義のあくなき利益追求です。そこで次回(第16回)以降は、この利益追求を是とする考え方と、それに連動させられている私たちの賃金を話題にしたいと思います。
2025年12月11日
注1) ナンシー・フレイザー著、江口泰子訳「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか(2023年8月10日 ちくま新書)」は、私がもっともお薦めしたい本のうちの一冊です。今回の拙文では、その片鱗を少し紹介しているに過ぎず要約ではありませんので、できれば本を読んでいただきたいと思います。ただし内容は文系大学の学部以上と思いますので、このような分野の予備知識が無いと、意味が取りにくいかも知れません。まずは第1章を読んでいただき、内容が理解できれば2章以降の各論に進んで大丈夫と思います。もし1章が難しければ、他で勉強されたのちに戻ってこられるのが良いと思います。
注2) 外国人労働者には、ルネサスで働くような高度な技術や専門的知識を持って働く労働者もいれば、日本人の祖先を持つなどから永住資格を得て働く労働者も多数います。そして、低賃金で働く外国人労働者としては、技能実習生や特定技能の在留資格を得て働いている人達が中心となってきています。このうち技能実習生と特定技能の第1号は、在留資格に最長5年の期限があり、家族帯同もできません。両者が計約70万人いる一方、無期限の在留資格と家族帯同が可能な特定技能の第2号は、やっと3000人程度しかいません。
注3) ルネサスの話ではありません。また、最近は円安で輸入物価が高騰していますが、それでもまだ国産品よりも安い海外製の生活物資はありふれています。