柴田さん流の言説にダマされない
著者は1982年生まれで、いわゆる”ロストジェネレーション”世代。組織開発の専門家として外資系企業を勤務したのち、おのみず株式会社を起業し独立した方です。本書は20章からなり、各章では「能力」「自己肯定感」「自立」「成長」「リスキリング」「対話」「ウェルビーイング」など、現代の社会や企業でどちらかと言えば肯定的に捉えられる言葉について掘り下げて考察し、鋭い視点から疑問を投げかけています。とくに”個人の”能力主義的な価値観を見直す視点を与えてくれていると思います。
本書を読みながら、ルネサスで目指されているカルチャーや、ペイ・フォー・パフォーマンスの徹底とか、タレントマネジメントという考え方は本当に妥当なのか、「勝ち残り」と言う言葉さえ持ち出せばリストラも定昇の見送りも正当化できるのか、それどころかウェルビーイングという概念さえもリストラを推進する口実になっていないかなど、さまざまな疑問が頭を巡りました。
ルネサスカルチャーの「アントラプラネリアル」やタレントマネジメントにおいて前提としているのは、高度な能力を持ち自立した人間像と思われますが、現実の社員は得意なことも苦手なこともあり、実生活ではいろいろな障がいや困難を抱えている、さまざまな個性を持った集団のはずです。なんでも自分でできる人ではなく、多様な特性を持った人たちをどう組み合わせていくかということこそ、組織を構成する要諦ではないかというのが著者の主張です。
電機・情報ユニオンには、これまでリストラに遭った何人もの方が相談に訪れています。おしなべて言えることは、相談に来られた方々がそれぞれに確かな能力を持ち、まじめに日々の業務をしていたという事です。面談の場でしつこく「能力が不足している」と言われた方の多くは、実は面談の席ではじめてそのような事を言われています。仮に退職強要しなくてはならないほど深刻な能力不足が本当にあったと言うのなら、なぜ上長は常日ごろから指摘しなかったのでしょうか。いえ、そもそもそれ以前に必要な指導や教育は行われていたと言えるのか等、疑問がわきます。
ウェルビーイングと言う概念も、ルネサスではリストラの口実になりかねないとの疑いを持ちます。会社は2年前に社員の意識調査を行い、その結果、特に日本国内の社員で満足度が低く、勤続年数が長いほどその傾向が強いことが分かりました。柴田CEOはその状況を「悲しいし何とかしたい」とは言ったものの、それからしばらくして出てきたのが「指名解雇」リストラでした。満足度が低い社員を、「別の道を探した方が本人の幸せのため」とでも理屈付けて、リストラでいなくなれば、相対的にスコアが上がると考えたのでしょうか。
実際に、今年の2月に開催された柴田CEOとルネサスグループ連合の大谷会長とのライブセッションにおいて、柴田CEOは「賃金に不満があるのなら辞めれば良い。現状で辞めないのなら、賃上げの必要はない」と受け取れる発言をしました。まるでこの会社では、社員の不満や困窮に対し本質的な改善をすることには興味が無く、不満があれば外に出た方が幸せという理屈を人事政策の柱としているかのようです。本書では、「”なぜ劣悪な労働条件でもそこで働かざるを得ないのか”といった労働者側の状況の把握が不可欠だ(187ページ)」と言います。さすれば何が社員にとって本当のウェルビーイングかを把握することが重要で、それをせずに柴田CEOが勝手に決めるのはおかしいだろうという事です。
著者は「何かを「問題」だと提起するのなら、何がそれを「問題」にしてしまったのか。そこには個人の能力や資質の問題以前に、構造的な闇がないか。そんなことを思いめぐらすことが当たり前になればと思う。(59ページ)」と語ります。本当にその通りと思います。ルネサスは人員をリストラし、賃上げを拒否しながら、一方では株主に500億円の配当をし、柴田CEO自らは10億円を超える報酬を得るなど、まさに「構造的な闇」が国会で追及されるほど”明るみ”に出ています。こんな極端に差別的な待遇が、人権侵害の一種であることが社会の常識になる日も、案外近いかもしれません。
以上、他にもまだまだありますが、本書を実際に読んで確かめてみていただければと思います。
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