中途半端な提言は不要、失敗の本質をとことん追求して欲しい
現在、日本の電機産業の衰退をテーマとして扱った著作は、すでにいくつも出版されていますが、本書の特徴は、TDKで30年勤務した著者が、自らの体験を振り返りながら、過去の失敗の原因を探る考察を行っているところにあります。こうして過去の具体的な場面から抽出されたいくつかの構造は、実は半導体や液晶も含む日本の電機産業全体に共通する普遍性を持ったものと捉え直され、本書において「五つの大罪(誤認の罪、慢心の罪、困窮の罪、半端の罪、欠落の罪)」へとまとめられています。著者の見出したこれら五つの大罪は、ひとつずつ章を割り当られ、平易な文書で説明されていますので、読みやすく理解しやすい構成となっています。
最終章である第6章は、大罪を克服するための提言ですが、その内容は前章までの議論から必然性を持って導き出される結論という訳ではなく、かなり拙速感のあることが否めません。
例えば、著者はエンゲージメントを高めるために、解雇を容易にすべきであると説きます。つまり日本を解雇しにくい国ととらえているようですが、これには反対の論もあります。実際、電機各社はすでに膨大な数の労働者をリストラしており、しかも必ずしもそれは経営危機を乗り越えるためやむを得なかったという訳ではなく、一方で内部留保を積み上げているのが実態です。(そもそも解雇を容易にして失業のリスクが高まればエンゲージメントが高まるという結論付けは、著者の実体験とは整合性があるとしても、普遍的な現象であることを示すための論理的な説明ができているとは言い難いです。)
これら提案にあたって、労働者保護の観点から見た危険性は著者も視野に入れてはいます。そこで対策として、法人税の引き上げを財源にして、アメリカを反面教師としたセーフティーネットを整備するべきと言います。しかし日本で解雇の容易化などの法整備を望む勢力こそは、これまで法人税を下げ、社会保障を削減しようとし続けてきたのではなかったのでしょうか。されば、本書の提言の都合の良い部分だけがつまみ食いされ、中途半端な改革によって半端の罪を焼き直す結果になってしまうおそれはないでしょうか。
2023年の現在、世界は環境と人権という、共通の大変困難な問題と向き合っています。アメリカ型のグローバル企業が、こうした問題を克服するどころか、さらに深刻なものとしている中で、これらを見本に日本企業がグローバルに生き残れることを目指すという目標の定め方自体が、何か20世紀の残像を見ているものに思えてしまいます。日本型の経営ではじり貧だからと言って、その苦しさからアメリカ型雇用を真似るべきと言うのであれば、それは21世紀の課題解決から遠ざかり、新たな困窮の罪をおかすことにつながるかも知れません。
以上、かなり辛口の批評となりましたが、とはいえ、この第6章に疑問があるからと言って、第1章から5章までの価値が失われる訳ではありません。むしろ、できれば第6章は提言ではなく、前章までの考察をさらに掘り下げてほしかったと思います。例えば、5つの大罪に共通する要因として、「圧倒的な議論の不足(222ページ)」を上げられていますが、本当にそれだけでしょうか。 また、議論の不足の原因も、ダイバーシティの乏しさやエンゲージメントの低さ以外にも、まだ何かあるのではないでしょうか。
タイトル通り、凋落した原因をさらに掘り下げて追及することができたら、本書の価値はさらに高まったことと思います。この点を次回作に期待したいと思います。
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